終戦の日と終戦記念日
今更だが、この2つの言葉の違いを認識した。
終戦の日;
正午からラジオで放送された玉音放送により、前日に決まったポツダム宣言受諾及び日本の降伏が国民に公表された日。
日本政府が軍に武装解除とアメリカ・イギリス・中国などの連合軍への投降命令を発し、連合国もそれを受け戦闘を止めた。ウィキペディアより
終戦記念日;
ウィキペディアには終戦記念日としての説明はなかったが、NHKのwebページには
「終戦記念日」と表現することに抵抗を感じる人も多いので、放送では「終戦の日」といっています。
とあった。
・・・私も抵抗を感じるなぁ。
終戦を記憶し、平和を願う日であることを強調するため、終戦記念日としている、ようだが。
記念には、過去の出来事などへの思いを新たにすること。という意味が確かにある。
でも、なんだか終戦記念日にはしっくりこない。
記念、と聞くと楽しい気持ちになってしまう。
自分が不勉強のせいか。。。
日本国海軍パイロットだった祖父は、晩年戦争体験をむせび泣きしながら私に語った。
両親から聞かされた戦争体験は、空襲警報のことや防空壕での話が多かった。
二人とも子どもだったから。
しかし、祖父は上官として若い部下を送り出していた。
一つまだ鮮明に覚えている話は、戦闘に出る時は、機体を軽くする意味もあるが、そもそも「片道分の燃料しか」搭載されない。
戦闘に出たが、機体の故障により途中で不時着した部下を迎えに行った時、若い部下は大泣きしながらひたすら謝罪をしたと言っていた。
「こんな所で飛べなくなって自分は本当に情けない」と。
祖父も私に大泣きしながら言った「自分は軍人だったのに生き延びてしまった。部落には、軍人でないのに死んでしまった人がたくさんいるというのに。」
その後悔から、戦後は村会議員になって活動していたのかな。祖父の世代の男が女の前で泣く(しかも孫娘)なんて私には理解できなかった。
それほど、祖父は長い間苦しんでいたんだと思う。もちろん、息子である私の父にもそういう話はしなかったらしい。
祖父が搭乗時に被っていた帽子が私は好きだった。
耳の部分はうさぎの皮で、「うさぎの皮はとても暖かいんだぞ」と教えてくれた。
永遠のゼロで被っているあんな帽子。
あんなペラペラな薄い帽子1枚被って空に舞い上がっていっていたんだ・・・
飛来物から頭なんて絶対に守れない。
帽子には祖父の名前が書いてあった。死体を判別するためだろう・・・
戦争なんて百害あって一利なし。
偶然、機動戦士ガンダムSEED DESTINYを見直していた。あれをただの娯楽アニメと捉えず、「絶対戦争をしてはいけない」と若い人たちに特に、感じて欲しいと切に願う。